2015年12月18日

御内の恩沢之碑



御内、金蔵連にある他の一基の石碑について書きます。

その前に前回掲載しました「凱旋紀念碑」の読み下しに誤りがありました。
疑問点を含め添削を恩師にお願いしたところ、ただちに返事をいただきました。
1.「出自」の句、漢文的には少々奇妙。
2.「皆析忠君報国之誠復能遵皇軍之法規」は対句なので、16文字ひとづきで読む。
3.「屠平壌降海城」これも対句。私は「降海」を「黄海の海戦」と誤解していた。対句なので「平壌を屠り、海城を降す」と読む。海城は遼寧省遼東半島にある町の名前。
4.「丈夫心觴」の「觴」は「腸」なら意味が通じる。「心腸」。
5.「紀念之章」は「之を紀念して章らかにす」と読んだらどうか。
以上、貴重な指摘をいただきました。訂正いたします。

今回の碑は「恩沢之碑」と言われ、昭和9年、御内、金蔵連地区に簡易水力発電所を設備した記念碑です。

上の写真が「恩沢之碑」です。

ここに原文と私の読み下し文を掲載しますので、前回同様、間違いがありましたならご指摘願います。

可戯其志操堅實其經綸遠大其識見卓絶施恵布徳人心翕然無不景仰乎竹本重利
氏知多郡成岩町人也所有當地於山林時時毎出入此境感住民不便深矣遂投私財
用水利発電気永令住民蒙文明之光輝者也可謂得此君子獲斯便利功徳為最多歟
欲使我子孫知其恩沢刻石併道謝

ああ、その志操(しそう)堅実(けんじつ)、その経綸(けいりん)遠大(えんだい)、その識見(しきけん)卓絶(たくぜつ)。恵(めぐ)みを施(ほどこ)し、徳(とく)を布(し)き、人心翕然(きゅうぜん)して、景仰(けいこう)せざるなし。竹本重利氏は知多郡成岩(ならわ)町の人なり。当地に山林を所有し、時々、この境に出入りする毎(ごと)に、住民の不便、深きを感じ、遂(つい)に、私財を投げて、水利を用(もち)いて、電気を発(おこ)し、永く、住民に文明の光輝を蒙(こうむ)らせしむ者なり。謂(いい)つべし、この君子を得、かかる便利を獲(え)る功徳、最も多となすか。我が子孫をして、その恩沢を知らしめんと欲し、石に刻み、併せて、謝を道(の)ぶ。  香積雲外撰文竝書

恩沢之碑の撰文ならびに書したのは藤本黙仙です。藤本黙仙は旧東加茂郡足助町大字足助字飯盛三九の飯盛山香積寺の第三十五世、雲外黙仙です。現在(平成二十七年)の香積寺住職、藤村孝道師は第三十九世です。ゆえに四代前の香積寺住職です。

「凱旋紀念碑」の大鷲院住職小寺黙音老師といい、「恩沢之碑」の香積寺住職藤本黙仙老師といい、昭和初期の老師方は皆、漢文・漢詩に堪能であられたことに敬服せざるをえません。足助地区に立派な老師方がみえました。

調べたことを参考までに書きます。

戯=「たわむれる」という意に用いられることが多いが、感嘆符として用いられる時もある。呼に当てた用法。「於戯(ああ)(=鳴呼)」よって「可戯」は「ああ」と読んだ。

志操=シソウ。主義や考えなどを固く守る意思。志節。

経綸=国家を治めととのえること。また、その方策。

遠大=計画や考えが、遠い将来のことまで考えた大きな規模であるさま。

識見=物事に対する正しい判断、考え。また、その能力。見識。

卓絶=他に比較するものもないほどすぐれていること。

翕=キュウ。あつまる。おさめる。あう。

翕然=キュウゼン。物事がいっせいにおこるさま。

景仰=ケイコウ。偉大だとして、慕い仰ぐ。ケイギョウ。

成岩町=ならわちょう。愛知県知多郡にかつて存在した町。現在の半田市南部に該当する。江戸時代初期、成岩村は知多郡で最も広く、最も人口の多い村という記録がある。江戸末期は犬山藩領、尾張藩領であった

蒙=こうむる。ある事を身にうける。

歟=か。文末につけて疑問・反問の語気をあらわす助辞。



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