2015年12月16日

御内の凱旋紀念碑




 御内、金蔵連は綾渡に隣接している地域です。
 今まで知らなかったのですが、そこに石碑が二基ありました。
 御内、金蔵連の人々が地域史を作るために、その石碑の内容を明確にしたいと思われ、私にそれを読むように依頼されました。

 御内、金蔵連に行き、写真を撮って原文を写してきました。
 ここに原文と私の読み下し文を掲載しますので、間違いがありましたならご指摘願います。

 まず、上の写真の「凱旋紀念碑」について書きます。

凱旋紀念碑

維時明治廿七甲午之秋征清之役出自金澤村大字御内蔵連従軍兵士四氏乃曰小池庫三郎加藤
峯次郎小池外之吉矢沢萬次郎壮男児者也皆析忠君報国之誠復能遵皇軍之法規而屠平壌降海
城略取旅順営口等所向克捷矣此役臥薪甞膽實是十有餘月也于玆媾成和熟而凱旋焉郷人歓舞
斉唱万歳乃欲為後鑑是此忠誠者郷人義挙以樹碑乃銘曰

我軍勇鏖 彼豈敢當 重義輕死 丈夫心觴 一挙于捷 報國奉皇 山唱萬歳 紀念之章

 明治廿八年六月皇軍 凱旋之日
   大日本赤十字社員 小寺黙音 誌 印
            沙門雄孚 書 印
(裏面)
     有志中
    石工 岡嵜裏町 嶺田金五郎正資 嶺田常次

 私の読み方を述べます。

 これ時、明治二十七 甲午の秋、征清の役 金澤村大字御内蔵連より従軍兵士四氏を出す。すなわち、曰く、小池庫三郎、加藤峯次郎、小池外之吉、矢沢萬次郎の壮男児なり。皆、忠君報国の誠を析らかにす。復た、よく皇軍の法規に遵いて、平壌、降海(黄海)、城を屠り、旅順、営口等を略取し、向かうところ克捷す。この役、臥薪嘗胆、実にこれ十有余月なり。ここに、媾和成熟して凱旋を為す。郷人歓舞し、斉しく万歳を唱う、乃ち、後の鏡となさんと欲するはこれ此の忠誠の者なり。郷人義を挙げて、もって碑を樹つ。銘に曰く、

我が軍勇鏖 彼あに敢えて当たらんや 義を重んじ死を軽ろんず 丈夫の心觴 一たび挙ぐれば捷ち 国に報い皇に奉ず 山、万歳を唱う 紀念の章

 読むに当たり、調べたことを参考までにかきます。

小寺黙音:旧東加茂郡足助町大字新盛字森下二二の扶桑山大鷲院の第二十一世。豪潮黙音です。黙音の師僧は二十世、魯山賢龍です。現在(平成二十七年)の大鷲院住職、中根祐典師は第二十七世です。故に六代前の住職です。

川合雄孚:凱旋紀念碑の文字を書いたのは河合雄孚ですが、経歴がわかりません。沙門と書いてあるので僧侶であり、小寺黙音老師と関係ある人だと思います。雄孚という僧名ですが、大鷲院開山は心翁永孚禅師なので「孚」をもらった大鷲院関係の僧であるかもしれません。

維時:「時はこれ」と読んでもよいと思いますが、私たち仏教徒は「これ時」と読んでいます。

征清之役=日清戦争(中国簡体字では甲午战争)のこと。明治二十七年(一八九四)七月から明治二十八年(一八九五)三月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。明治七年が甲午(きのえうま)なので碑文に「明治廿七甲午之秋征清之役」と小寺黙音老師は書いた。

皆折忠君報国之誠=この句中にある「折」でありますが、木偏も筆の勢いで手偏にみえることもあります。木偏の「析」のほうが意味が通じると思う。「折」は「おる、おれる、くじく」という意味で「忠君報国の誠を折る」では意味をなさない。「析」であれば「ひとつづつ分けて明らかにする」という意味があり、「皆が忠君報国の誠を明らかにした」と読むことができる。

屠=ほふる。からだをばらばらにして殺す。屠城(城を屠る。例えば、屠咸陽とあれば、咸陽を攻め滅ぼすこと)

屠平壌降海城=「屠」は攻め滅ぼすこと。「平壌」は平壌の戦いをいう。平壌の戦いは日清戦争における最初の本格的な陸戦である。
「降海」は「黄海」の誤りではないだろうか。「黄海の海戦」は清の北洋艦隊と日本海軍の黄海における海戦である。「城」は、戦場となった多くの城(都市)をいう。

旅順営口=後年の日露戦争の旅順攻略と異なり、日清戦争の旅順口の戦いは、明治二十七年十月に大山巌大将率いる第二軍が金州に上陸し、十一月に金州城を占領する。その後、日本軍は清国軍に対して攻撃をして、堅固な旅順要塞を僅か一日で陥落させた。営口は現在の遼寧省にある。営口占領は、牛荘作戦と呼ばれた日清戦争中の戦闘である。

克捷=こくしょう。勝利を得る。

媾成和熟=媾和(講和)が成熟したという意味。媾和という語と成熟という語を分けて組み合わせて碑文に格調をもたらすために媾成和熟と言った。

于=う。「於」と同じ用法。置き字として読まないか、または「~に」「~において」と読み、「~において」「~にいたって」「~から」と訳す。「干」と「于」は違う。

焉=えん。文末において訓読せずに「~なのだ」「~にちがいない」と訳す。語調を整え、断定の語気を示す助詞。

樹=き、たてる、たつ、うえる。

銘=多くの場合四字句から成り,偶数句で押韻する。この場合も偶数句の「彼豈敢當」「丈夫心觴」「報国奉皇」「紀念之章」の「當」「觴」「皇」「章」は、ともに下平声・七陽の韻であり、押韻されている。私の疑問点は四句目の「丈夫心觴」の四字目「觴」が写真で撮ったところ偏が「觴」のように彫ってない。しかし旁は「觴」であった。「觴」は七陽の韻でここに来てもよいのだが、「心觴」という言葉はあるのでしょうか。ご教示願います。

孚=ふ。はぐくむ、まこと。情けの厚いさま。






この記事へのコメント
 よく調べられました。とても勉強になりました。しかし最後の「觴」の字の何が一道さんの疑問なのか、疑問点が私には読み取れませんでした。
 觴という字が「なんと」彫って有ったのでしょうか?
 觴の偏が「角」では無く「矢」だったのでしょうか。

 一道さんは、むかしむかしのお坊さんの様に、物知りで勉強家のご様子、とても好感がもてます。よろしくお導きください。
 小生はいま涅槃図の線書きができたところです。これから色付けに入ります。しかし文人画家を目指す私には、絵描きの仕事は苦手です。
Posted by 加藤不譲 at 2015年12月17日 10:02
 コメント、ありがとうございました。
 「丈夫心觴」の意味が分からないのが、疑問点でした。

 この記事に対して、恩師が貴重なアドバイスを私に与えてくださいました。全体を整理しなおして、アップします。

 幕末の足助・香積寺に本高風外という和尚さんがいました。風外禅師の涅槃図は絶品です。11月中、足助の中馬館にて風外禅師の多くの書画が展示されていました。
Posted by 一道 at 2015年12月17日 20:13
 出自は、出どころを明らかにする、と言う熟語です。
 漢詩として読もうとすると、おかしいと思います。

 自国を守ろうとして、戦いに挑み戦死した人々は、今はやはり、夜空に輝く星に成っていて欲しいと思います。合掌

 2016年の賀状に、昔軍国少女だった方から、
 「今思えば、鼓舞して戦地に送りだした自分を、反省している。」
 と言う言葉が書かれていました。

 「戦争は悲惨だ、しかし敗戦はもっと悲惨だ。」

 だから先人達は、「自国の人々が敗戦の苦難を受けない為に」戦いに挑んだのだと思います。
 今でも自分は、事あらば先人達に順次たい思いです。



 
Posted by 加藤不譲 at 2016年01月02日 10:55
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