初午と歌碑
今年の初午大般若法要は二月二十六日に勤めました。
初午とは、稲荷社の縁日です。
観音堂後方にある稲荷社に氏子総代さんが供物を供え、私が作った五色旗を飾られます。
江戸時代にはこの日に子どもたちが寺小屋に入門したそうです。
また、初午が早い年は火事が多いと言われています。
三月に入ってから初午を勤める年が多いのですが、今年は二月でした。火事に気をつけてください。
初午前夜、餅つきがおこなわれました。
一戸当たり五合の餅米を伍長さんが集めました。
観音講からは、ふた臼分餅米を寄進されました。
以前は若連の行事でしたが諸事情のため今では自治会長さんがリーダーを勤めています。
今年は九臼つきました。
男性が十三名、女性が九名、お取り持ちくださいました。
三臼くらいついたところで投げ餅が何個できるか皆で予測します。
千個から千五百個までの数をそれぞれ言いました。
多く言った人は、小ぶりの投げ餅を作り、数を増やし皆の笑いを誘いました。
最終的には千百五十個できました。
私は体力がないので、いつも餅を丸める係りを担当しています。
上の写真のように餅を並べ勘定します。
初午当日の朝八時から餅と景品引き換え券をビニール袋に詰め、六個の祝儀櫃に分け入れます。
餅の上には朝採ってきた檜の葉をのせ蓋をして観音堂にお供えします。
このような初午準備をしているときに、区長さんが「わくわく事業」の歌碑について私に提案されました。
先住、小川昇堂さんのつぎの歌を歌碑にしたいとのことでした。
大門坂越え来て
寧比曽この見ゆる
木曾尾嶺は
秋の色になりたり
「山門前の駐車場に石を持って来てあるので、それに合わせて字を書いてほしい」と言われました。
「いつまでに」と聞くと「四、五日で」とのことでした。
練習している暇がありません。二月二十九日、小雨が降り、静かな時間が持てたので一気呵成に仕上げてしまいました。
へたですが、昇堂さんの後住が書いたということだけが取り柄と思っています。
石屋さんに持って行く前に石と字の大きさの私の感覚をコンピューター上でシミュレートしてみました。
下の写真がそれです。