2010年11月16日

第3回 足助地区ふれあいまつり

平成22年10月30日(土)足助交流館にて「第3回足助地区ふれあいまつり」がおこなわれました。
午前10時に豊田市ジュニアオーケストラの皆さんによる演奏で開幕しました。
その後、梅村善孝:脚本・演出による「お姫滝幻想 - 平勝寺伝説より」を上演しました。

出演者は、「語り」として私と近藤康次さん、安藤みさ子さん。
演技では、足助コーラス、コールメイプル、足助詩吟同好会、足助ほら貝隊、三州足助太鼓、千嘉会、新進流葵会、足助まゆみこども園、綾渡の夜念仏と盆踊り保存会、演劇集団くつわの皆さんでした。




足助交流館・飯盛座の350席は満席、通路にも人があふれていました。

鎌倉時代末期、後醍醐天皇の倒幕計画は密告により発覚した。
天皇の身辺に危険が迫り、天皇は笠置にこもり挙兵した。
天皇の皇子、平勝親王は足助氏の決起を促すために足助に来られた。
足助氏出陣の後も中之御所にとどまった。
笠置では足助次郎重範が一の木戸を守っていた。

平勝親王は観音霊場である綾渡を訪れ、戦勝祈願に明け暮れる毎日であった。
平勝親王のお世話をするために召された綾渡の長者の娘。
いつしかふたりの心は通じ合っていくのだが・・・・・

「九月三日の卯の刻に東西南北の寄せ手、あい近づいて時をつくる。その声、百千の雷の鳴るがごとくにして天地も動くばかりなり・・・」

「かの笠置の城と申すは、山高うして一片の白雲峰を埋み、谷深うして万仭の青岩道を遮る・・・」

「十善の君のおわします城なれば、六波羅殿や御向いあらんずらんと心得て、御儲けのために大和鍛冶のきとうて打ちたる鏃を少々用意つかまつりて候。一筋受けてご覧じ候へ・・・」

などと『太平記』第三巻の段をいくつか抜粋して私が読みました。




平勝親王と遊ぶ村の童を足助まゆみこども園の皆さんが演じてくれました。
「親王さま、遊ぼうよ」「いっしょに遊ぼうよ」




最後は綾渡踊りの激しい動き、鳴りやまない拍手喝采のうちに幕が閉じました。
カーテンコールで全員が並んだところです。



  


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2010年08月26日

伊藤さんとミソハギ

伊藤さんは、雨の日も晴の日も毎朝お参りにみえます。
伊藤さんの家は「奥ノ堂(おくんどう)」にあります。
「奥ノ堂」という小字名は平勝寺ゆかりの名前です。
平安時代末期、平勝寺の「奥の院」がそこにあったので、現在まで「奥の堂」と呼ばれています。
伊藤さんは大正2年生まれです。
現在97歳で、とても元気です。
記憶力がしっかりしていて、私は伊藤さんの話を聞くことがとても楽しみです。

朝食用のきゅうりとナスを採り終わったとき、
ちょうど伊藤さんがお寺へ向かって歩いていました。
私は伊藤さんと話ながら、手をつないで本堂まで行きました。

お参りが済むと、伊藤さんは私のおふくろと話をしてから帰られます。




帰っていかれる伊藤さんの左側にミソハギがあります。

ミソハギの盛りは過ぎました。
お盆の頃、仏前に供えられる頃が一番きれいでした。
花穂に水を含ませて供物に水をかけたり、精霊棚に水をかける(洒水と言います)のに使いました。



一昨夜、茂くんの田んぼにイノシシが入りました。
昨日、茂くんは電気牧柵を田んぼに張りました。
収穫時期になると、畑や田んぼにイノシシが出没し、作物を食い荒らすのでとても困っています。
家々の玄関さきまで現れます。




私の田んぼ(上の写真)は、真ちゃんと勝之さんと私の三人で協力して電気牧柵を張りました。
あと一ケ月あまり、イノシシが入りませんように。

追加:
午後3時半、「観音堂の横の池に鴨が5羽、来ているよ」と家内が言いました。
さっそく写真を撮ったのでアップします。


  


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2010年08月10日

平成22年度 夜念仏と盆踊り




平成22(2010)年8月10日10時30分の気象庁発表によりますと、
台風4号は、10日9時には東シナ海にあって、北へ毎時25kmで進んでいます。
中心気圧は980hPa、中心付近の最大風速は30m/sです。

今のところ綾渡は晴れています。

夜、雨が降れば「夜念仏と盆踊り」を中止します。
準備の都合上、「夜念仏と盆踊り」をおこなうかどうかの
最終判断(保存会長:決定事項)を10日午後3時にいたします。

このブログを見て、綾渡へ来てください。

3時:決定

今夜の「夜念仏と盆踊り」おこないます。
  


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2010年06月17日

観音講





6月、観音講の日の風景です。
このところ雨の日が続いていましたが、今日はご覧の通りの快晴でした。
毎月17日に観音講をおこなっています。
朝8時に地区の女性5名が台所をはじめます。
私は観音旗を立てます。

10時半までに観音堂と境内地の掃除を済ませ、
観音堂にてお参りをはじめます。

11時から11時45分ごろまで百万辺をおこないます。
その後、観音堂から集会所に移動して
12時に昼食をいただきます。
地区の皆さんが作った手作りの料理をいただきます。





その後、皆で談笑したり、余興を見聞きします。
三々五々、2時前後に帰られます。

台所の後片付けや周りの整理をし、夕方に終了です。
池のまわりには、きれいな花が咲いています。



  


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2010年06月04日

花まつりの御案内





東部仏教会「花まつり」


東加茂仏教会には七つの支部があります。
旭、足助北部、足助中部、足助東部、足助西部、下山、稲武の七支部です。
寺院数は六十七ヶ寺です。

平勝寺が属しているのは、足助東部仏教会です。

東部仏教会にはもともと十一ヶ寺が所属していました。
十一ヶ寺を列挙するとつぎの通りです。
葛沢の宝樹院(浄土宗西山深草派)、
室口の正覚院(浄土宗西山深草派)、
桑田和の中宮寺(浄土宗西山深草派)、
同じく桑田和の久遠寺(真宗大谷派)、
ここ綾渡の平勝寺以下はみな曹洞宗です。
山谷の万昌院、川面の龍宝寺、
上八木の宗源寺、五反田の昌全寺、
千田の梅林寺、明川の円通院です。

 十一ヶ寺のうち現在、活動している寺院は七ヶ寺です。
この七ヶ寺が属する地域を四つに分け、毎年ひとつの地区で「花まつり」を開催しています。
したがいまして四年に一度、私たちの御内・椿立地区に開催地が廻ってきます。

 本年は、私たちの番です。
御内、椿立地区の皆さんには、定例会のときに全戸に「花まつり」案内チラシを配布いたしました。

ここにもう一度、ご案内いたします。

東部仏教会主催の「花まつり」を六月十二日(土)午前十時から平勝寺本堂にておこないます。
赤ちゃんからお年寄りまで誰でもご参加ください。

法要後に余興として、手品や短い映画会をおこないます。
お供えのおさがりもお配りします。是非、ご参加ください。

 花まつりは灌仏会(かんぶつえ)とか降誕会(ごうたんえ)といって、釈尊の誕生を祝う行事です。
平勝寺では毎年旧暦の四月八日におこなっています。

 花御堂(はなみどう)を作り、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。
誕生仏をその中央に安置し、柄杓で誕生仏に甘茶をかけて祝います。  

甘茶をかける由来は以下の通りです。

 釈尊の父はシャカ族の浄飯王、母はコーリヤ族出身の摩耶夫人です。
今から約二千五百年前、摩耶夫人は釈尊を懐妊し、出産のため故郷に戻る旅に出ました。
旅の途中にルンビニーの園に立ち寄りました。
周囲には美しい花々が咲き誇っていました。
その花を手折ろうとしたとき釈尊を産みました。
その時、竜王が天から甘露の雨を降り注いて釈尊の誕生を祝福しました。

釈尊は産まれてすぐ、七歩あるき、右手で天を指さし左手で地を指さして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたそうです。

 このような由来を踏まえ、花御堂はルンビニーの園を模し、甘茶は龍王の甘露の雨を模して誕生仏におかけします。
 釈尊の誕生は父・浄飯王をして「すべての願いが叶った」と言わせたほどの喜びでしたが、母・摩耶夫人は釈尊を産んで七日後に亡くなってしまいました。
その後の釈尊は摩耶夫人の妹に育てられました。
生母を知らないという最大の悲しみを持ちながらも、なおかつ最高の生き方を示された釈尊の誕生を心から皆でお祝いいたしましょう。



  


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2010年05月03日

ドクターヘリ出動

五月三日、綾渡地内では田植えの準備に大わらわでした。
大半の人々が田の畦草刈りをしていました。
私も午前中、畦草刈りをおこない、午後からは稲の苗を受け取りました。

その後、庫裡で休憩していました。
そのとき家内が息せき切って走ってきて「裏山で人が倒れている」と叫びました。
家内は「茂くんたちも呼んでくる」と叫び隣の家へ走って行きました。

明日は弘法さまのお祭りなので、家内は裏山へ掃除に行きました。
山の頂上まであがったところ、65歳前後の男性がおにぎりを半分食べで寝転んでいました。
家内は最初、その人は昼寝をしていると思ったそうです。
掃除をしながら、行き過ぎましたが、どうも変だと思って引き返しました。
「もし、もし、大丈夫ですか?」
反応がなかったので、家内はびっくりして山から駆け降りてきました。

手のすいた村人がつぎつぎと来てくれたので、対応が早くできました。

消防工作車が一番にきました。
その後、救急車。
そしてドクターヘリが平勝寺の駐車場に降り立ちました。





皆の協力で、倒れた人をドクターヘリで厚生病院へ運ぶことができました。
ありがとうございました。  


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2010年03月29日

桜が満開





今年は桜の開花が少々、早いようです。
境内地の桜は、もう満開です。



  


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2010年02月24日

福寿草が咲きました

 2週間前は雪景色でしたのに、もう福寿草が咲き始めました。
福寿草はキンポウゲ科の多年草で、世話をしなくても毎年、花を咲かせます。
名が示すように我が家にも喜びごとがやってきました。
ふたり目の孫が2月18日に生まれました。





 春先は黄色の花が最初に開くのですね。
クロッカスも咲き始めました。
クロッカスはアヤメ科の多年草で、この花も世話なしです。
黄色、紫、白の花をつけます。



  


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2010年02月06日

雪景色の平勝寺

昨夜から急に冷え込みました。
今朝、一面の銀世界です。
雪の平勝寺と綾渡の家々です。







  


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2010年02月04日

平成22年度 節分会




恒例の節分会を2月3日におこないました。
ときどき小雪が舞い散りましたが、おだやかな日でした。
朝8時から檀信徒の婦人方が、台所で昼食の準備をしました。
10時から檀家総代の藤澤計夫さんが受付を開始しました。





観音堂と本堂でお参りをしたあと、豆まきをしました。
本堂いっぱいにまきました。





豆まきのあと、集会所で昼食を取り、福引をして楽しみました。
翌日、来られなかった人たちに家内が福豆を配りに行きました。  


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2010年01月26日

文化財防火訓練

平成22年1月24日(日)、平勝寺境内地で防火訓練がおこなわれました。

平勝寺には観音様はじめ多くの文化遺産があります。
850年という長い期間、地区の人びとがお参りしてきた観音様を火災から守るため防火訓練をしました。豊田市消防団、豊田市消防本部、平勝寺の関係者が合同で訓練しました。
消防車4台と指揮車が来ました。





訓練の概要は以下のようです。

1.通報訓練
火災を発見した私が119番通報をしました。
「訓練、訓練、火事です。場所は豊田市綾渡町奥12番地の平勝寺西側の雑木林が燃えています。けが人はいません。私は佐藤一道で、電話は62-2241です。」

2.文化財持出し訓練
檀家総代である藤澤計夫さんと私が文化財を境内の南側へ搬出しました。

3.初期消火訓練
平勝寺境内地にある簡易水道消火栓にホースを2本つなげ、計夫さんと一緒に放水しました。




4.消防訓練
指揮車:私の通報を受けた消防署は、指令課から指揮車へ出動指令を出す。指揮車は各消防団に任務を指定する。現場に到着したのちに現場指揮本部を設置し指揮をとる。


消防団:平勝寺南側にある防火水槽に水利部署を設定し、2つの分団隊員が協力して山林に放水する。ひとつの分団は防火水槽の水を消防車に中継送水する。
足助消防隊:中継送水を受けた水を山林に放水する。

5.講評
訓練が終わり、参加した各隊の撤収活動が終わった時点で境内地に整列した。佐久間文化財保護審議会委員、一道、足助消防署長が講評した。



  


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2010年01月01日

新春

 あけましておめでとうございます

 旧年中には、いろいろなことがありました。
それでも皆さまのお陰をもちまして、無事に新年を迎えることができました。
ありがとうございました。

 新年にあたり「知識に随順する」という言葉を胸に刻みました。
この言葉は正法眼蔵随聞記に出ています。
知識とは師匠のことです。
現在、知識といえば「ある物事について知っていることがら」という日常語ですが、仏教用語では意味が違います。
仏教では、善知識を略して知識と呼んでいます。
善知識とは、仏縁を結ばせてくれる人、教え導いてくれる指導者を指します。
狭い意味では師匠のことですが、広い意味では私を取り巻くすべての人びとということができます。

 『正法眼蔵随聞記』にはつぎのように書いてあります。

「自分が日ごろ考えて、これが正しいと思っていることを師匠の言葉に随って改めるべきである。
今の人は自分の考えに固執して、自分の意見と違うときは、耳を貸さない。
また、そうは言ってもと否定する。
そして何か不安を感じ、自分の意見と一致する人を尋ね求めてフラフラしている」と。

 その通りです。
忠言は耳に痛いものです。
逆に言えば、私にとって耳に痛い言葉をかけてくださる人こそ私を磨いてくれる人といえます。

 先日、ラジオのニュース番組で「コンプライアンス」という言葉が出てきました。
私はその言葉を知らなかったので、さっそく辞書で調べました。
それは「企業において法律や規則などのごく基本的なルールに従って活動を行うこと。企業の社会的責任と共に非常に重視され、日本語ではしばしば法令遵守と訳される」とありました。

 社会生活を営むうえで、人も企業も法令を遵守しなければなりません。
しかし、それ以上に私たち仏教徒は、知識に随順し、法に随順しなければならないと思います。
法に随順するとは、厚い法律書を読んでそれに遵うという意味ではありません。

 仏教徒がいう法とは、釈尊が説かれた教え、三法印(三つの真理)のことです。

三法印とは、諸行無常(あらゆる一切のものは移りかわる)、
諸法無我(すべてのものはひとりで存在しない。多くの縁で存在する)、
涅槃寂静(欲望煩悩の火が消えれば、身心は落ち着き、生き生きとしたいのちが輝く)です。

 本年も法に随順して、いのちが輝くような日常を歩みたく思っています。

 よろしくお願いいたします。
  


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2009年11月14日

今日のもみじ




今日の平勝寺のもみじです。
朝のうち、雨が降っていました。
昼ごろ雨がやんだので、もみじを写しました。



  


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2009年09月26日

あすけウオーク2009

平成21年9月27日(日)午前8時30分スタート

豊田市足助地区コミュニティ会議が主催です。
「歩くこと」による健康づくりを目指して、平成8年度から開催されています。

今年は椿立地区で行われます。

平勝寺が出発点です。

駐車場に限りがありますので、乗り合わせてご来山ください。  


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2009年08月03日

綾渡の夜念仏と盆踊





国の重要無形民俗文化財である「綾渡の夜念仏と盆踊」が行われます。

8月10日と15日の
午後7時から夜念仏。
午後8時半ごろから盆踊です。

夜念仏は、若連中(35歳までの青年)の盆の行事で、
昔は旧暦の7月1日から17日まで行っていました。

しかし、青年が少なくなったため、昭和35年に保存会を結成しました。
そして、新仏の家を回ることもなくなり、
今では8月10日と15日に平勝寺境内で行っています。

盆踊は、太鼓や三味線などの楽器を使わずに、
「音頭とり」の歌う唄に合わせて
下駄の足拍子だけで踊る素朴な踊りです。

昔は、
新仏のある家で夜念仏が終わると、その家からお茶やお菓子が出されます。
故人をしのびながら休み、ご馳走になったからといって、
折子灯篭を立てて、その周りで手踊りを踊りました。

今は音頭とりが踊りの輪の外で歌いますが、
昔は歌に自信のある人が、踊りながら歌ったといわれています。

昭和20年代の終わりごろから、
平勝寺境内の盆踊に女のひとや子どもたちも参加するようになり、
今では、老若男女が輪になって踊ります。

  


Posted by 一道 at 22:02Comments(2)夜念仏と盆踊

2009年04月04日

今日の草花

4月2日、お寺の前の田圃に元肥を撒きました。
石垣の上には、「ゆきやなぎ」が白い花を着けはじめ、「レンギョウ」も黄色い花を着けています。
作務を終えたのち、境内地に咲いている花を撮りました。


「かたくり」と

「いと水仙」 です。  


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2009年02月10日

節分の大黒様



大黒様(佐藤瑞圭・作、佐藤眞人・作)

 二月三日、平勝寺では節分会(せつぶんえ)をおこなっています。
私が平勝寺に入寺したとき、綾渡のお年寄りが
平勝寺で節分行事をしてほしいと提案されました。
そこでさっそく平成元年から節分会をおこないました。
最初の参詣者は二十九名でした。
観音堂でご祈祷をし、本堂で豆まきをして、集会所で昼食をとりました。
昼食後に福引きをしました。

 数年後、佐藤瑞圭師が平勝寺を参詣されました。
佐藤瑞圭師は綾渡のTさんのご親戚です。
平勝寺の歴史と観音様についてお話申し上げたところ、
佐藤瑞圭師はとても関心を持たれました。
そのとき私は知らなかったのですが、佐藤瑞圭師は木彫の大仏師だったのです。

 その後しばらくして、佐藤瑞圭師より「節分法要の福引きのために大黒様を二体、
彫ってあげましょう」との連絡がありました。
瑞圭師のご好意をありがたく受けることにしました。

 平成九年(一九九七)十二月、
完成した大黒様をいただきに私は岩手県花巻市に行きました。
Tさんのご親戚であるM夫妻、S夫妻が同行してくださいました。
瑞圭師宅にて印象深いお話をたくさん聞きました。
その中でもっとも心に残った話はつぎのことです。

瑞圭師が小学三、四年生の頃、花巻農学校教諭をしていた宮沢賢治が、
通勤の途中にしばしば家の前を通りました。
庭で花木の手入れをしていた瑞圭師の父と、賢治は親しく話をかわし、
優しい笑顔で、庭木の手入れについて助言をしたそうです。
その木が今でも残っていました。
このようなご縁があり昭和二十九年、
瑞圭師は北海道穂別町に賢治観音像を製作しました。

 小学校時代から木彫が好きだった息子を見て、
父は当時高名な彫刻家であった高村光雲に、
息子の弟子入りを頼むために上京しました。
昭和五年のことです。
小学校を卒業して間もない精三郎(瑞圭師)は父に随って上京しました。
当時、高村光雲には弟子があまりにも多かったので、
精三郎は光雲の一番弟子である山本瑞雲に預けられました。
兵隊検査のため花巻に帰るまで七年ほど山本瑞雲のもとで修業しました。

 昭和二十二年、日展に入選して以来、
現在までに約三千体の仏像を作られたとのことでした。

 上の写真は平成十八年、瑞圭師卒寿のときの作品です。

 佐藤瑞圭師は平成十八年七月に永眠されました。
 瑞圭師よりいただいた履歴書を簡略してここに転記いたします。

佐藤瑞圭(精三郎) 履歴

大正  五年  一月、花巻市豊沢町に生まれる
昭和  五年  上京 高村光雲 山本瑞雲に師事
昭和 十五年  正統木彫家協会会員
昭和二十二年  第三回日展入選
昭和二十九年  北海道穂別町賢治観音像製作
         昭和五十四年 町文化財第一号指定
昭和三十二年  花巻市文化財調査員
昭和四十二年  元東北大本山水沢市正法寺千手観音像彫刻
昭和四十三年  岩手大学特設美術科講師
昭和五十八年  北上市極楽寺倶利伽羅不動尊像彫刻
昭和六十三年  花巻市不動寺本尊不動尊坐像彫刻
平成   三年  花巻市宮沢清六氏弥勒菩薩彫刻
平成   六年  小学館創業相賀祥宏氏肖像
平成  十八年  七月、九十一歳にて永眠。精明院佛心瑞圭居士

 平成十九年の節分会から瑞圭師の長男である佐藤眞人師が
引き続き大黒様を彫って奉納されています。
 このような経緯によって平成二十一年度節分会福引きの大黒様は
佐藤眞人師が製作されたものです。
  


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2009年01月31日

平成21年2月3日 節分法要





       2月3日(火) 節分法要

 受付を午前十時からおこないます。
十時半、観音堂にてお参りをして、本堂で豆まき、集会所で昼食と福引きをします。
お一人、千円です。

平勝寺の役員さん、年番さん並びに有志の方々がお取り持ちくださいます。

ご案内 : 同一ブログ内の「亡羊之嘆(住職のひとりごと)」も読んでくださいね。 
  


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2009年01月01日

新年のあいさつ



  

新年あけましておめでとうございます

 私の干支は戊子(つちのえ・ね)です。昨年で十干十二支が一巡し、昭和二十三年の干支にふたたび戻りました。干支のうえでは、生まれた時に帰ったことになり、新たに一歳からのはじまりです。

 今年は己丑(つちのと・うし)です。先を急がない牛のように着実に一歩一歩を踏みしめていきたいと思います。

 私の父は大正十三年、甲子(きのえ・ね)生まれでした。六十四歳で他界しました。それを思うと、うかうかしてはいられません。いつまでも生きているような気分でいるのですが、父が他界した歳までに、たった四年しかありません。とても大切な一日一日を無駄遣いせず丁寧に生きたいです。

 先日、新聞に投稿された或る記事を読み、深く心を動かされました。

 それは、火事に出会いすべてのものを失った婦人の手記でした。火事に遭ったその翌日から寝るところさえなかったのですが、友人宅に泊めてもらい暖かい食事までいただいたことに感謝されている文章でした。気丈な女性だなあと敬服しました。私は平静な気持ちで、そこまでの文章を読みました。

そして、つぎを読んだときに涙が出てしまいました。
「若いときから主人といっしょに築いてきた家も思い出の品々もひとつ残らず焼けてしまいました」

 言葉にできない程のつらさを味わられたことでしょう。ささいなものを失ってさえ不安にかられる私など火事に遭ったらどうなってしまうのだろうと思いました。

 しかし私が火事に遭わなくとも、すべてを置いて去っていかなければならない時が確実に私にもやって来るのです。私が所有していると思っているものとも、私とご縁のあったあらゆる人々とも、思い出とも、書き残したものとも、私自身の体さえとも別れていかなければなりません。
 だからこそ、生かされている今日一日に感謝して、欲張らず怒らず心静かに充実して生きていきたいと思います。
 
 皆様は新しい年に際し、それぞれ目標を立て邁進されることでしょう。

 私も目標を持っています。この世に生まれ、仏道に出会い、師匠から習ったことをどのように消化し、どのように実践していくかが還暦後の目標です。
 あと中国に関して見聞を広めることも楽しみのひとつです。

 どうぞ皆様、健康に気をつけて今年も無事に過ごされますように。  


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2008年12月29日

除夜の鐘

平勝寺では毎年、12月31日午後11時40分ごろより「除夜の鐘」を撞きます。
午前零時からは本堂にて新春のお経と観音堂にて新春のご祈祷を勤めます。

それに先立ち午後10時ごろより「古いおふだやお守り、お位牌」などのお焚きあげをします。

「除夜の鐘」は百八回、撞きます。
思いついた句を百八枚、書いておきますので、梵鐘を一回撞くごとに一枚お持ち帰りください。
句が全部なくなれば百八回、撞いたことになります。

有志の方による「甘酒」の接待があります。
また鐘楼門がライトアップされています。

ご縁のある方々のご来山をお待ちしています。  


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