2009年02月10日

節分の大黒様



大黒様(佐藤瑞圭・作、佐藤眞人・作)

 二月三日、平勝寺では節分会(せつぶんえ)をおこなっています。
私が平勝寺に入寺したとき、綾渡のお年寄りが
平勝寺で節分行事をしてほしいと提案されました。
そこでさっそく平成元年から節分会をおこないました。
最初の参詣者は二十九名でした。
観音堂でご祈祷をし、本堂で豆まきをして、集会所で昼食をとりました。
昼食後に福引きをしました。

 数年後、佐藤瑞圭師が平勝寺を参詣されました。
佐藤瑞圭師は綾渡のTさんのご親戚です。
平勝寺の歴史と観音様についてお話申し上げたところ、
佐藤瑞圭師はとても関心を持たれました。
そのとき私は知らなかったのですが、佐藤瑞圭師は木彫の大仏師だったのです。

 その後しばらくして、佐藤瑞圭師より「節分法要の福引きのために大黒様を二体、
彫ってあげましょう」との連絡がありました。
瑞圭師のご好意をありがたく受けることにしました。

 平成九年(一九九七)十二月、
完成した大黒様をいただきに私は岩手県花巻市に行きました。
Tさんのご親戚であるM夫妻、S夫妻が同行してくださいました。
瑞圭師宅にて印象深いお話をたくさん聞きました。
その中でもっとも心に残った話はつぎのことです。

瑞圭師が小学三、四年生の頃、花巻農学校教諭をしていた宮沢賢治が、
通勤の途中にしばしば家の前を通りました。
庭で花木の手入れをしていた瑞圭師の父と、賢治は親しく話をかわし、
優しい笑顔で、庭木の手入れについて助言をしたそうです。
その木が今でも残っていました。
このようなご縁があり昭和二十九年、
瑞圭師は北海道穂別町に賢治観音像を製作しました。

 小学校時代から木彫が好きだった息子を見て、
父は当時高名な彫刻家であった高村光雲に、
息子の弟子入りを頼むために上京しました。
昭和五年のことです。
小学校を卒業して間もない精三郎(瑞圭師)は父に随って上京しました。
当時、高村光雲には弟子があまりにも多かったので、
精三郎は光雲の一番弟子である山本瑞雲に預けられました。
兵隊検査のため花巻に帰るまで七年ほど山本瑞雲のもとで修業しました。

 昭和二十二年、日展に入選して以来、
現在までに約三千体の仏像を作られたとのことでした。

 上の写真は平成十八年、瑞圭師卒寿のときの作品です。

 佐藤瑞圭師は平成十八年七月に永眠されました。
 瑞圭師よりいただいた履歴書を簡略してここに転記いたします。

佐藤瑞圭(精三郎) 履歴

大正  五年  一月、花巻市豊沢町に生まれる
昭和  五年  上京 高村光雲 山本瑞雲に師事
昭和 十五年  正統木彫家協会会員
昭和二十二年  第三回日展入選
昭和二十九年  北海道穂別町賢治観音像製作
         昭和五十四年 町文化財第一号指定
昭和三十二年  花巻市文化財調査員
昭和四十二年  元東北大本山水沢市正法寺千手観音像彫刻
昭和四十三年  岩手大学特設美術科講師
昭和五十八年  北上市極楽寺倶利伽羅不動尊像彫刻
昭和六十三年  花巻市不動寺本尊不動尊坐像彫刻
平成   三年  花巻市宮沢清六氏弥勒菩薩彫刻
平成   六年  小学館創業相賀祥宏氏肖像
平成  十八年  七月、九十一歳にて永眠。精明院佛心瑞圭居士

 平成十九年の節分会から瑞圭師の長男である佐藤眞人師が
引き続き大黒様を彫って奉納されています。
 このような経緯によって平成二十一年度節分会福引きの大黒様は
佐藤眞人師が製作されたものです。



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