2010年01月01日

新春

 あけましておめでとうございます

 旧年中には、いろいろなことがありました。
それでも皆さまのお陰をもちまして、無事に新年を迎えることができました。
ありがとうございました。

 新年にあたり「知識に随順する」という言葉を胸に刻みました。
この言葉は正法眼蔵随聞記に出ています。
知識とは師匠のことです。
現在、知識といえば「ある物事について知っていることがら」という日常語ですが、仏教用語では意味が違います。
仏教では、善知識を略して知識と呼んでいます。
善知識とは、仏縁を結ばせてくれる人、教え導いてくれる指導者を指します。
狭い意味では師匠のことですが、広い意味では私を取り巻くすべての人びとということができます。

 『正法眼蔵随聞記』にはつぎのように書いてあります。

「自分が日ごろ考えて、これが正しいと思っていることを師匠の言葉に随って改めるべきである。
今の人は自分の考えに固執して、自分の意見と違うときは、耳を貸さない。
また、そうは言ってもと否定する。
そして何か不安を感じ、自分の意見と一致する人を尋ね求めてフラフラしている」と。

 その通りです。
忠言は耳に痛いものです。
逆に言えば、私にとって耳に痛い言葉をかけてくださる人こそ私を磨いてくれる人といえます。

 先日、ラジオのニュース番組で「コンプライアンス」という言葉が出てきました。
私はその言葉を知らなかったので、さっそく辞書で調べました。
それは「企業において法律や規則などのごく基本的なルールに従って活動を行うこと。企業の社会的責任と共に非常に重視され、日本語ではしばしば法令遵守と訳される」とありました。

 社会生活を営むうえで、人も企業も法令を遵守しなければなりません。
しかし、それ以上に私たち仏教徒は、知識に随順し、法に随順しなければならないと思います。
法に随順するとは、厚い法律書を読んでそれに遵うという意味ではありません。

 仏教徒がいう法とは、釈尊が説かれた教え、三法印(三つの真理)のことです。

三法印とは、諸行無常(あらゆる一切のものは移りかわる)、
諸法無我(すべてのものはひとりで存在しない。多くの縁で存在する)、
涅槃寂静(欲望煩悩の火が消えれば、身心は落ち着き、生き生きとしたいのちが輝く)です。

 本年も法に随順して、いのちが輝くような日常を歩みたく思っています。

 よろしくお願いいたします。
  


Posted by 一道 at 21:10Comments(1)